松本卓也

「取り戻す」。これが安倍政権のキーワードだ。ニッポンを取り戻す-。安倍晋三首相はかつて自著で、(日本が直接攻撃を受けてなくても、他国を武力で守る)集団的自衛権は「自然権」であり、日本は「権利があっても行使できない」「禁治産者」と表現した。 私が専門とする精神分析の分野で「享楽の盗み」という概念がある。人間は生まれ落ちた時点で母親から切り離され、いわば楽園状態から追放される。その結果、本来あった十全たる享楽を欲しがるのだが、しばしば誰かに自分の享楽を盗まれたのだと錯覚する。 安倍政権も同じ論理で、かつて幸福な時代があったとの空想が強い。この「取り戻す」が問題なのは「ならば私たちの享楽を盗んだのは誰か」と排外主義に結び付きやすい点だ。例えば、拉致問題解決を訴えるデモにヘイトスピーチをやる人が交じってくる。 安倍政権は米国への従属と挑発という矛盾する政策を繰り返す。首相の真珠湾訪問で、米国にもう絶対、歯向かいませんと腹を見せた。日ロ首脳会談はシリア問題でロシアへの制裁を求める米国の手をかむかのようだった。この二方面作戦は「懸命な対米従属」とも「対米自立」とも読み取れ、両側から矛盾をはらんだ支持を集めている。 「失われた享楽」を取り戻そうと、集団的自衛権を行使できるようにした安全保障関連法は、米国の思い通りに利用されかねない。つまり戦争の道具にされる。自立路線のふりをしながら、結局、対米従属が強まるのだろう。安倍政権は東アジア諸国に対して加害者として反省、謝罪する代わりに、米国とともに加害者になろうとしている。